京都大学*鴨川ホルモー(万城目学)
万城目学は自身の出身校、京都大学を舞台にした青春小説「鴨川ホルモー」を2006年に出版した。
鴨川ホルモーをベースに、京都大学をふらっと一周してみることとしよう。
巨大なクスノキの影が、分厚く天を覆っていた。
大学時計台の正面、お化けマッシュルームのようなシルエット映し出し、闇夜にそびえたつ一本のクスノキ。その常緑の枝葉の下に怪しげに蠢く人影があつた。
(万城目学(2009)『鴨川ホルモー』角川文庫.)
この後、京大青竜会のメンバー20名は吉田神社を目指す。
「吉田代替わりの儀」を執り行うため、それとの対面を果たすために
では、私たちも、それを探しに行くとしよう。
時計台のある正門を左に折れると、吉田神社の鳥居にすぐ突き当たる。
東一条通は吉田神社の鳥居前から、西は鴨川へつき当る全長1キロの路。
西の雄、京都大学の正門は、こんな小路に面している。
吉田山は周囲より60mだけこんもり突き出た丘。その昔、花折断層の活動により隆起したと言われている。
ちなみに京都人は、いつ花折断層が再び暴れ出すか気が気ではない。
前回の活動は十七世紀、その前は七世紀頃、そろそろらしい。
吉田神社の鳥居をくぐる。
吉田神社の鳥居はまるで魔界への入口のように、ぽっかり大口を開けて、我々を待ち構えていた。その背後には吉田山が巨大な生きもののようにうずくまっていた。
吉田神社に魔界っぽさや、観光地としての華やかさはない。
初秋の陽が木々の間から差し込み石段を照らす。
神殿の朱色と緑のコントラストが映える拝殿の前で、彼らは儀式をおこなった。
京都大学吉田キャンパスは、正門のある本部構内を中心にして、百万遍の交差点から北側、今出川通りを隔てた北部構内、東一条通りを隔てて南側に吉田南構内、東大路通りを隔てた西側に西部構内と医学部構内が取り囲むように建っている。
■本部構内、百万遍交差点
■北部構内
■吉田南構内
■西部構内(体育館)
築100余年。
日本最古の木造学生寮、吉田寮は吉田南構内にある。
1970年代にタイムスリップしたような混沌として特異な存在感を醸し出す。
その存在感は、外観や建物内の古さからくるものだけでなく、脈々と学生達が紡ぎ出したもの。
京都大学は吉田寮自治会に対して老朽を理由に立ち退きと、入寮募集の中止を通告したものの、自治会側は現寮の補修を要求、2016年秋の入寮募集も行っている。
寮費は1ヶ月2,500円。
鴨川ホルモーに吉田寮は登場しない。
代わって吉田グランドで物語のクライマックスを迎える。
吉田グランドは東大路通と東一条通の交差点近く、ひっそりと外からはよく見えない。
俺と目が合うと、「ぷはっ」という河馬のような音が、奴の鼻の穴から洩れた。次の瞬間、「ホルモオオオォォォーッ」という盛大な雄叫びが、吉田グラウンドを包む青空いっぱいに響きわたった。
吉田寮と並びシンボリックな建物、フランク・ザッパに「世界でもっともビューティフルでクレイジーな劇場」と言わしめ、数多のロックミュージシャンを排出した京大西部講堂はその名の通り西部構内、東大路通りに面している。
屋根には「オリオンの三ツ星」と呼ばれる三連星。
テルアビブ空港銃乱射事件を起こした3人の日本赤軍派のメンバーを偲んで描かれた。異様な光景は、さながら現代のダマスカスのようだ。
吉田寮の暖かみとは対極、西部講堂にはアナーキーな怖さしかない。
西部講堂ポリス事件。
当時、国内で人気絶頂のポリスが、わずか300人収容の大学の講堂でライブを行った。
事件以降、西部講堂から外タレ含めメジャーなミュージシャンは締め出され、学生による自主自立の運営が強化された。
詳しくはウィキペディアで調べてみて。
The Police - Message in a Bottle 2008 Live Video HD
アンディー・サマーズの乾いたギターリフ、スチュワート・コープランドのハイハットを多用したドラム、スティングの悲しげな声。スティングもいいけど私はポリス派。
吉田寮や西部講堂を除けば、構内には近代的な建物も交じる。
やたら自転車が目につくのは、最寄駅から徒歩15分。交通の便が悪く、下宿生が界隈に多く住む京大には、自転車は必須だ。
鴨川ホルモーでも、物語は自転車と共に進んでいく。
これは男四人で戦うしかないと、と俺が腹を括ったとき、異様にゆっくりしたスピードで、楠木ふみが自転車に乗って正門に現れた。
オニが出てくる奇想天外な小説にリアリティーを持たせているのは、疾走する京都の街の様子と、安部、高村、楠木ふみ、スガ氏ら、いかにも京大生なキャラクターによるところが大きいのかもしれない。
残念ながら映画版「鴨川ホルモー」の山田孝之や栗山千明に京大っぽさは微塵も感じない。映画人はその小説が持つ匂いや肌触りを大切にしてほしい。